2026年2月3日火曜日

熊本の梅開花2026

今年は2月4日が立春。ただ、まだまだ寒さが続く毎日ですが、熊本にはほんのり春の気配が漂い始めています。
今年の、熊本地方気象台による開花宣言は2月2日で、平年並みとなっています。
次の写真は、2月2日の午後1時頃に私が熊本城梅園で撮影したものです。鮮やかな青空の下、ポツポツと咲き始めた梅の花が春の到来を告げていました。

今朝(2月3日)の地元新聞の1面を見てびっくりでした。なんと私と同じ場所、そして護国神社の鳥居の方向からして同じ梅の木の写真のようです。私が立ち去った後に記者さんが来られたみたいです。

昨年の開花宣言は2月25日で、今年より随分と遅い開花でした。
 ⇒ 開花時期を迎えた梅@熊本城梅園(まちの風景 2025/2/22
今年も寒いと思っていましたが、梅の開花が1カ月近くも異なるところからすれば、昨年の方がもっと寒かったのかもしれませんが、もう何も覚えていません。1年前のことですが記憶は頼りないものです。

以下の写真は、梅園で撮影した梅の開花の様子です。

早咲きの梅の木。多くは蕾のままですが、この木だけ賑やかで、梅の花を観に来た人たちは、この木の下で立ち止まり、見上げている姿を見かけます。

この梅園で最初に梅の花が開いてのを見つけたのは半月ほど前の1月16日のことでした。
現在、満開になっている上の写真の梅の木に、数輪の赤い花が咲いているのを見つけました。
ここ最近ずっと天気がよく、澄んだ青空と赤い花のコントラストが見事で、しばし2人で足を止め見入っておりました。

白い梅の花も、少し離れた木に数輪咲いていました。1月16日、白い花が咲いていたのもその1本の木だけでした。



フォトコレクション
2026/1/18撮影

2026/1/28撮影

2026/1/30撮影(梅の花にやってきたミツバチ。一瞬の動画です)

2026/2/2撮影
 

2026年1月30日金曜日

未来のサクラ@熊本城

伐採された桜の木から生えてきた新しい芽を「ひこばえ」と呼ぶようですが、熊本市では熊本城内の桜のひこばえを育成する取り組みをされていることを今日知りました(発見しました)。
これまで何度も何度もここを歩いていたのですが、全く目に入っていなかったのですが、今日、どういうわけか自分でもわかりませんが、気づいて(発見して)しまいました。

これまで何度、ここを歩いたかわからないほどですが、これまで全く気付かずに素通りしていました。昔、ハンソンという哲学者が科学的な観察において観察される事実は観察者が持つ理論などの前提知識に依存するという「事実の理論負荷性」という概念を提唱しました。科学者とは次元が随分と異なりますが、日常の散歩における観察にも応用できる概念なのかもしれないなと桜のひこばえを観察しながら思いました。


場所は二の丸広場の駐車場側になります。

位置(経度・緯度)情報を調べるためにGoogle Mapを見てみたら、航空写真では桜の木は伐採された後のものが(今日の時点では)掲載されているようです。ストリートビューも見てみました。そうしたら、(今日の時点では)伐採される前の桜の木が写っていて驚きました(次の写真)。
Google StreetView

伐採後、芽吹いた「ひこばえ」は「未来のサクラ」として熊本市は育成に取り組んでいることも、看板によって今日初めて知りました。よい取り組みですね。

さらに歩いていくと、一度見つけたからでしょうが、同じものをまた発見。

場所は城彩苑の裏の通りです。

他にも未来のサクラを育成しているところがあるのかもしれません。
熊本城内を散歩するときは、未来のサクラが何本あるのか見つけることを目的に歩いてみても面白そうです。

2026年1月24日土曜日

朝ドラ「ばけばけ」主人公の熊本旧居と庭の梅の花

2025年9月末からNHKにて朝ドラ「ばけばけ」が放送されています(番組HP)。
2026年1月現在、ドラマの舞台は島根県松江市ですが、2月中旬からは熊本が舞台になるそうです。
主人公の小泉八雲と妻セツが熊本で住んだ旧居が残されています。
熊本を代表する百貨店「鶴屋」の裏通り沿いです。

朝ドラ放送まではそれほど注目されていなかったと思いますが、散歩の途中に本日立ち寄ったところ見物に来られたお客さんで賑やかでした。

裏庭に回ると白い梅の花が咲いていました。こじんまりとした裏庭はなかなか素敵でした。

旧居は解体されてしまうところだったようですが、当時の熊本人の奮闘があり、そしてその後の人々による維持管理の努力もあって、当時の旧居が現在も残っているわけですね。

過去のものは自然に残るところはなく、もし残っているとすれば、それは時代を超えた人々の継続的な努力によるものだということがこの旧居から伝わってきます。
不易流行という松尾芭蕉の言葉があります。普遍(不易)であるためにはその時代ごとの空気感(流行)を取り入れていく必要があるという意味だと理解していますが、モノを未来に残していくことにも通じる考え方なのかもしれません。

2026年1月11日日曜日

二の丸広場の2本松の片方逝く

今年の加藤神社への初詣の後(2026/1/3のこと)、二の丸広場を歩いて帰っていると、県立美術館前の二の丸広場の樹木周辺に規制テープが張ってありました。
「朽ちた枝が落ちてくるのかなぁ・・・」と思いながら通り過ぎました。

それから約1週間後(2026/1/9)、また二の丸広場を散歩していました。
広場では消防出初め式の準備が始まっており、その様子を見ていると何やら風景がいつもと異なることに気づきました。家内から「あっ」と小さな声が聞こえました。変化に気づいたようです。

次の写真は2024/8/16に撮ったものです。葉が生い茂っているのでわかりにくいですが、これまでの風景になかにあったはずの松の木が「ない!」と家内に言われ驚きました。
2024/8/16撮影
上の写真の中央付近に、寄り添う2本の松の木が見えます。この2本の松についてはこの「まちの風景」ブログで以前紹介したことがあります。
なぜ2本の松が寄り添ように生えているのか、その理由はよくわかっていないようです。(別日に撮った写真ですが)ほんと仲良く寄り添うように立っていました。
2024/5/15撮影

それが・・・、片方の松の木が伐採されていました。
2026/1/9撮影

初詣した後、2026/1/3にここを通った時は2本ともにあったので、この1週間の間に伐採されたようです。あの規制テープは、枝が落ちてくるとかではなく、伐採のためだったことをこの時知りました。

2本の松の木は、いったい何年ほど一緒にいたのでしょう? 一説によれば松の木の寿命は人間の寿命程度のオーダーのようです。
仲良く寄り添ってきた2本の片方が先に逝った姿を前にして、長年連れ添った相方が旅だったように感じてしまいました。私たちも今は2人で生活しているため、私たちに重ね合わせてしまいました。家内も同じようなことを思ったようです。

倒木の危険があったからでしょうが、寄り添うように立っていた2本の松が独りになってしまい、大変残念に思いました。

2026年1月4日日曜日

6年前の熊本城総合事務所取材

昨年、加藤神社に初詣にでかけたのは1月2日の早朝でした。昨年の人混みは比較的少なかった。
初詣で賑わう加藤神社(2025/1/3)
今年は1月3日午後にでかけました。年が明けてもう3日も経つので、人出は随分と減っているはずだと想像していたのですが、考えが大変甘かった。
拝殿まで随分と長い行列ができていました。

初詣の済ませ、二の丸広場に出ると、ほぼ誰もいません。ただ、ここも元旦には色々なイベントがあったようです。
実は、大晦日にも二の丸広場を夫婦で散歩しました。中央にテントがおいてあるので、何だろうと思って近寄ってみました。

かわらけ」の配布場所とのこと。はて? 無知な私は、「かわらけ」とは何?、「ここで何が行われるのか?」など、頭の中は疑問符だらけの状態で帰宅。

帰宅後にネットで調べ、「かわらけ」の正体がわかりました。「かわらけ」は素焼きの杯のことで、縁起物として毎年無料配布されているようです。
令和8年は、「熊本地震十年」の文字が刻印された杯で、それが熊本城おもてなし武将隊の手で2025個配布されたと地元新聞で報じてありました。

今年で、熊本地震から10年が経過します。
10年前、私は深夜の自宅で震度6強を経験しました。1日前の前震の片付けで疲労困憊して帰宅した直後の本震でした。それから、職場で怒涛の日々が続きました。
職場が落ち着いて以降、熊本地震に関する取材を行う機会をいくつか持ちました。
そのひとつとして学生たちと熊本城周辺文化施設の取材する機会をいただき、その一環で熊本城総合事務所を取材させてもらいました。
その様子を学生が動画でまとめています⇒熊本城総合事務所副所長インタビュー2019/12/3

この時、熊本城の復旧には20年を要すると聞きました。
取材後、そして熊本城近辺に住み始めてからはさらに熊本城を眺め度に復旧状況が気になっていました。
地震から今年で10年。今年は熊本城復旧の向けた折り返しの年ということなります。これからの10年で熊本城の創造的復興が無事に完了することを祈りたいと思います。


2025年12月6日土曜日

晩秋の日常風景:色づいたイチョウ並木

今、あちこちでイチョウがきれいです。
風雨の影響が少なかったせいかもしれませんが、今年は黄色いイチョウの葉がきれいに揃っている木々が多いように感じます。
次の写真は3号線から辛島町に向かう道路沿いのイチョウ並木。
撮影技量が未熟のため写真だと今一つですが、実物はたいへんきれいでした。

次の写真は、3号線から上の写真のイチョウ並木を眺めたものです。ちょうど「熊大薬学部発祥の地」辺りから撮影しました。イチョウ並木の先が辛島公園、そしてサクラマチの花畑広場となります。
花畑広場はこの時期クリスマスマーケットが開催されていて、そしてこの日(2025/12/6土曜日)はその他にも色々な催しがあってるようで多くの人で賑わっていました。
サクラマチが開業したのは2019年9月。それ以前、あの辺りには「県民百貨店」がありました。当時、あの辺りは人がいなく閑散としていました。現役の頃、県民百貨店の(たぶん最後の)社長さんと会議をご一緒したことがあり、話をしましたが大変そうでした。県民百貨店は2015年2月に閉店。
桜町の再開発で辛島公園界隈に賑わいが生まれました。この意味で、あの再開発はまちを一変させるものだったと思います。

さらに散歩を続け、細工町まで来ました。
ここで、見事なイチョウの木に遭遇。お寺の境内の中です。なんとも見事なもの。

イチョウの根元付近には仁王像があります。
境内に入るとイチョウは2本あり、それぞれに仁王像がおかれ、セットになっています。計画的にそうしたのでしょうが、見事な配置で驚きます。
ここ中央区にはお寺が無数に言ってよいぐらいたくさんあります。散歩を続けているとそれがわかります。その理由がお寺入口にあった説明板でわかりました。加藤清正の城下町づくり(今で言えば都市計画でしょうか)にルーツがあるようです。


この時期、散歩していると、色づいたイチョウにあちこちで出会います。
晩秋のどこでも見かける日常の風景と言えます。
普通に歩いていると、特に感じることもなく通り過ぎていく人もいるかもしれません。
しかし、こうして何の変哲もない日常の風景を前にしても、何かひとつでもちょっとした驚きを感じ、楽しんでいきたいものです。
楽しさが外からの働きかけで受動的に駆動されるのではなく、何でもないところであっても自らが外に能動的に働きかけ楽しさを生み出していく方がずっと面白いはず。
そうして過ごしていくと世の中楽しいことが多くなり、ぼーと生きていくのは難しくなりそうです。

2025年12月4日木曜日

百日咳地蔵

私のご近所にはお地蔵さんがあちこちにあります。
いつかどういったものがあるのか全部の記録して回ろうかと思っているせいか(なかなか実行には移せていませんが)、お地蔵さんに目を向ける癖がつきました。

普段は車で通る新町の路地を、たまたま歩いていたらお地蔵さんがあることに昨日(2025年12月3日)気づきました。
「百日咳地蔵尊 上職人町」とあります。
この場所は熊本市中央区新町3丁目ですが、「上職人町」とはこの辺りの昔の地名のようです。

ワクチンがない時代、小さな子どもが重篤化したとき、最後に人に残された手段は祈りしかなかったでしょう。
いやそうでなく祈り自体が医療行為だったのに違いありません。
近代医学が誕生する以前、医療行為と祈りとは混然一体としていてその境界は明確でなかっただろうと思います。祈り自体が医療行為であり、病気を治すために人々は懸命に医療行為としての祈りを捧げていたのに違いありません。
近代医学が誕生し発達した現代にあっても「医療は祈りである」と言われるお医者さんもおられ(※)、現代でも医療と祈り(信仰)は医師においても完全に分離されているわけではなさそうです。
(※)「赤ひげは存在するか:地域医療 現場からの報告(全国国民健康保険診療施設協議会 編1989年刊)」に「医療と祈り」という事例報告があります。これを読んだとき医療と祈りとの関係について考えさせられました。

百日咳のお地蔵さんは全国あちこちに存在しているようです。ここ新町にもあるということは、昔、この辺りでも百日咳の患者が相当にでたということでしょう。
お地蔵さんが現在もきちんと手入れされ、残されているということは、市井の人々の中では医療と信仰とは今も完全に分かれているものではないことを教えてくれます。

現在(2025年)、患者数の全数把握が始まってから過去最大の百日咳の流行になっているようです。特に抗菌薬が効きにくい耐性菌も混ざっていて乳児が死に至るケースもあるとのこと。こうしたニュースに接し、私のところにも小さな孫たちがいるので百日咳が気になっていました。
そうしたこともあって、百日咳のお地蔵さんが、この場所を歩かせて私を呼び止めたのかもしれません。