2025年12月6日土曜日

晩秋の日常風景:色づいたイチョウ並木

今、あちこちでイチョウがきれいです。
風雨の影響が少なかったせいかもしれませんが、今年は黄色いイチョウの葉がきれいに揃っている木々が多いように感じます。
次の写真は3号線から辛島町に向かう道路沿いのイチョウ並木。
撮影技量が未熟のため写真だと今一つですが、実物はたいへんきれいでした。

次の写真は、3号線からイチョウ並木を眺めた写真です。ちょうど「熊大薬学部発祥に地」辺りから撮影しました。イチョウ並木の先が辛島公園、そしてサクラマチの花畑広場となります。
花畑広場はこの時期クリスマスマーケットが開催されていて、そしてこの日(2025/12/6土曜日)はその他にも色々な催しがあってるようで多くの人で賑わっていました。
サクラマチが開業したのは2019年9月。それ以前、あの辺りには「県民百貨店」がありました。当時、あの辺りは人がいなく閑散としていました。現役の頃、県民百貨店の(たぶん最後の)社長さんと会議をご一緒したことがあり、話をしましたが大変そうでした。県民百貨店は2015年2月に閉店しました。
桜町の再開発で辛島公園界隈に賑わいが生まれました。この意味で、あの再開発はまちを一変させるものだったと思います。

さらに散歩を続け、細工町まで来ました。
ここで、見事なイチョウの木に遭遇。お寺の境内の中です。なんとも見事なもの。

イチョウの根元付近には仁王像があります。
境内に入るとイチョウは2本あり、それぞれに仁王像がおかれ、セットになっています。計画的にそうしたのでしょうが、見事な配置で驚きます。
ここ中央区にはお寺が無数に言ってよいぐらいたくさんあります。それは散歩を続けているわかります。その理由がお寺入口にあった説明板でわかりました。加藤清正の城下町づくり(今で言えば都市計画でしょうか)にルーツがあるようです。


この時期、散歩していると、色づいたイチョウにあちこちで出会います。
晩秋のどこでも見かける日常の風景と言えます。
何気なく歩いていると、見過ごしていく人もいるかもしれません。
しかし、こうして何の変哲もない日常の風景を前にしても、何かひとつでもちょっとした驚きを感じ、楽しんでいきたいものです。
楽しさが外からの働きかけで受動的に駆動されるのではなく、何でもないところであっても自らが外に能動的に働きかけ楽しさを生み出していく方がずっと面白いはず。
そうして過ごしていくと世の中楽しいことが多くなり、ぼーと生きていくのは難しくなりそうです。

2025年12月4日木曜日

百日咳地蔵

私のご近所にはお地蔵さんがあちこちにあります。
いつかどういったものがあるのか全部の記録して回ろうかと思っているせいか(なかなか実行には移せていませんが)、お地蔵さんに目を向ける癖がつきました。

普段は車で通る新町の路地を、たまたま歩いていたらお地蔵さんがあることに昨日(2025年12月3日)気づきました。
「百日咳地蔵尊 上職人町」とあります。
この場所は熊本市中央区新町3丁目ですが、「上職人町」とはこの辺りの昔の地名のようです。

ワクチンがない時代、小さな子どもが重篤化したとき、最後に人に残された手段は祈りしかなかったでしょう。
いやそうでなく祈り自体が医療行為だったのに違いありません。
近代医学が誕生する以前、医療行為と祈りとは混然一体としていてその境界は明確でなかっただろうと思います。祈り自体が医療行為であり、病気を治すために人々は懸命に医療行為としての祈りを捧げていたのに違いありません。
近代医学が誕生し発達した現代にあっても「医療は祈りである」と言われるお医者さんもおられ(※)、現代でも医療と祈り(信仰)は医師においても完全に分離されているわけではなさそうです。
(※)「赤ひげは存在するか:地域医療 現場からの報告(全国国民健康保険診療施設協議会 編1989年刊)」に「医療と祈り」という事例報告があります。これを読んだとき医療と祈りとの関係について考えさせられました。

百日咳のお地蔵さんは全国あちこちに存在しているようです。ここ新町にもあるということは、昔、この辺りでも百日咳の患者が相当にでたということでしょう。
お地蔵さんが現在もきちんと手入れされ、残されているということは、市井の人々の中では医療と信仰とは今も完全に分かれているものではないことを教えてくれます。

現在(2025年)、患者数の全数把握が始まってから過去最大の百日咳の流行になっているようです。特に抗菌薬が効きにくい耐性菌も混ざっていて乳児が死に至るケースもあるとのこと。こうしたニュースに接し、私のところにも小さな孫たちがいるので百日咳が気になっていました。
そうしたこともあって、百日咳のお地蔵さんが、この場所を歩かせて私を呼び止めたのかもしれません。