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8月, 2024の投稿を表示しています

空蝉~つわものどもが夢の跡

空蝉(うつせみ)は源氏物語に登場する人物。 現在、大河ドラマ「光る君へ」が放映中。いよいよ源氏物語が書き始められました。私の当初の期待からは大きく外れて、たいへん面白い内容で、毎週引き込まれています。 さて今は時期的に残暑の季節なのでしょうが、残暑という言葉ではとても表現できないほどの暑さがここ熊本でも毎日続いていて、歩いているとめまいがしそうです。 そんな中、歩いていると、暑くてもやはり残暑という言葉は当たっているようで、一時期あんなに騒々しかった蝉の鳴き声があまり聞こえません。 出遅れた少数派の蝉たちが少しだけ合唱している程度です。 まだまだ酷暑ですが、音の風景(サウンドスケープ)の変化は、夏がちゃんと終わりに近づいていることを告げてくれています。 蝉の声に耳を傾けながら歩いていると、「光る君へ」のファンだからかもしれませんが、蝉の抜け殻が目に入りました。 場所は坪井川沿い、城彩苑の前の遊歩道です。 この蝉、遠目に熊本城が見える、なんとも贅沢な場所で羽化したようです。 周囲の枝にも羽化した後の空蝉があちこちにみられました。 大木を地面から順番に登ってきたのでしょうか、縦に行儀よく 並んでいる空蝉もみられました(クリックして拡大すれば見えるかと思います)。 夏の間中、脱皮した蝉たちが大合唱を続けてきたわけですが、並んだ空蝉を見上げていると、まさに「つわものどもが夢の跡」を見ているようです。 空蝉を撮影した場所: 32.80242948942348, 130.7031999247127 空蝉は坪井川沿いの樹木でみつけました。 かなり暑いので今のところ歩いている人は少ないですが、これから季節が徐々によくなっていくので、坪井川沿いの遊歩道は散歩する人が増えることでしょう。 熊本城が見える風景を楽しみながら、のんびり散歩するのにとてもよいところだと思います。  

旧細川刑部邸の夏/熊本博物館

強烈な蝉の大合唱が小さくなりました。参加者がかなり減ってきているようです。 日中は35℃を超える猛暑日の続く熊本ですが、夏もそろそろ終わりに近づいてきているということでしょう。 散歩途中によく通る旧細川刑部邸。春の様子を以前紹介しました( まちの風景2024/4/5 )。 定点観測として刑部邸の夏の木々の様子を記録しておきました。 日の光の当たり具合によって色合いは変わりますが、それでもあの眩いばかりの新緑の頃の木々からすると随分と変化しています。   刑部邸の前は 熊本博物館 です。 夏になったら子どもたちが賑やかにここを歩いている姿をよくみかけるようになり、いつもの風景が変わりました。 今年の特別展は「旅するタネ」という面白い企画が行われており、子どもたちの夏休みの自由研究には良さそうなテーマだと思いました。 3歳の孫を連れて私もでかけてきました。ただ、3歳の男の子は動物や昆虫に興味津々でした。 学校の夏休みももうすぐ終わり。 子どもたちも宿題に追われていることでしょう。 夏が終わると、旧細川刑部邸と熊本博物館の間の石畳の通りから子どもたちの声は少なくなり、ここもいつもの風景に戻っていくのに違いありません。  

二の丸広場の二本松

二の丸広場、熊本城側から金峰山、県立美術館方向を撮影した写真。 ひと際高い樹木がありますが、他と種類が異なり、松の木です。しかも、同じ高さのペアで、2本が寄り添うように立っています。同じように成長しているところをみると、同じ時期に植えられたのでしょう。 熊本城二の丸広場では樹木としては巨木「クスノキ」が有名ですが、この二本松も独特な雰囲気があります。 ただ、一般にはあまり興味を持たれている様子はないようで、検索しても特にヒットしません。 「二本松」で検索すると福島県の「二本松市」が出てきますし、「二の丸広場 松」で検索すると大阪岸和田市の「二の丸公園の松」がでてきます。 ChatGPTに聞いてみると熊本城の建設当時から存在していたのではないかとか、加藤清正お手植えであるとかと出てきます。出典を聞くと、一般的知識に基づいてのものであり、特定の情報源ではないそうで、どうも当てになりません。おかげで、松の木について、きちんとした情報源がないことはわかりました。 あまり興味を持たれていないようです。 次の写真で、私の家内が根元で顔をだしています。大きさの程度がある程度はわかるかと思います。 最初に仲良く立っているこの2本の松に気づいたとき、なぜペアなのか、また2本ともよくここまで一緒に成長できたものだと感心しました。 記念撮影スポットにも良さそうに思うのですが、ここで撮影している人を見ることはあまりありません。 松が、あまに大きすぎるせいでしょうか? 二本松の位置: 32.80654391293759, 130.70129167418378 下から見上げると、仲良く寄り添っているのがよくわかります。 二本松からの松ぼっくりが落ちてます。 かなり大きいものも落ちており、子どもたちが拾って遊び道具にしている光景はよくみかけます。 二の丸広場の二本松。 何か、これにまつわる物語でもあれば、多くの人が知るきっかけになるのかもしれません。

水遊び場の風景

水遊び場の風景① 玉名市鍋松原海岸 8月5日(平日)に熊本市を出て、玉名市の海(鍋松原海岸)にでかけました。 熊本市内から車で1時間ぐらいの距離です。 海岸はきれいに整備されており、以前は海水浴場として活用されていました。 利用者減少で、コロナ禍で開設できないことが続いたこともあり、2022年の夏から海水浴場としての開設はなくなりました。 きれいなビーチなので、夏ですから、海水浴場が開設されていなくても、海水浴を楽しんでいる人がいるだろうと想像しながら出かけたのですが、海岸は私たちだけでした。 平日だったせいもあるとは思います。 私たちだけできれいなビーチをひとり占め。プライベートビーチで遊んできた気分でした。 撮影場所: 32.897281272178205, 130.48925110706315 かつて「海」は夏そのものでした。 1970年頃のヒット曲に「今はもう秋、誰もいない海・・♪」という歌詞があります。 昭和の頃、「夏」には海には多くの人がいましたから、こうした歌詞が生まれたのでしょう。 ところがこの日、夏でも「誰もいない海」になっており、令和の海は昭和の海から変化をしてしまったようです。 ChatGPTに聞いてみました。 日本は1980年代がピークで3,790万人が海水浴場を訪れていたようですが、2020年代現在はピーク時の2割程度にまで低下しているそうです。 こんな状況であれば、あちこちの海水浴場が閉鎖されるはずです。 激減の理由をさらに聞いてみると、ChatGPTが言うには、若者のアウトドア活動離れ、レジャーの多様化が進んできているからということでした。 定番の説明をしてくれました。 玉名のビーチは、松林がよく整備されていて日陰に座るところがあり、そこに座っていると海風がたいへん涼しい。これは地域資源のひとつのように思えます。アスファルトだらけの都市部では風が吹いても体温以上の熱風が来るだけ。毎日そんな熱風を体に浴びているので、真夏の「涼しい風」は新鮮でした。 海の意味づけが変わると利用する人も増えるのかもしれません。 なお、私個人としては干潮のときの有明海はさらに地域資源として貴重に思えます。海水が陸地から遠のくので涼しい風は吹かなくなるかもしれませんが、遠い波打ち際まで歩き陸地方向を振り返ると、広大な干潟の水たまりには空と雲が映り、そしてその先に...

一旦停止不要のわが輩通り踏切

熊本電鉄上熊本駅に停車中のくまモン電車 撮影場所  32.81828279284658, 130.6997395308051 上熊本駅を出発して2番目の踏切でくまモン電車は県道31号線(通称「 わが輩通り 」)を横切ります。 撮影場所  32.82117159103438, 130.70009975458606 わが輩通りを横切るくまモン電車。 交通渋滞の激しい熊本市において地域の足として期待の大きい熊本電鉄の電車です。 踏切を通過すると電車は次の韓々坂駅(かんかんざかえき)へと向かいます。 韓々坂駅を過ぎ次の池田駅に到着する直前の踏切を通過するくまモン電車。 撮影場所  32.826926957919326, 130.70443659601722 車が踏切の手前で停車しております。 電車が通過しているので停車は当然ですが、踏切では電車が来なくても一旦停車するものです。 何十年もの間、それが当たり前だと思っていました 。 ところが、その常識は破壊されました。 例外があった のです。壊したのは先に紹介したわが輩通りと交わる踏切でした。   初めてわが輩通りの踏切を通った時のことです。 踏切が近づくと、常識に従い、一旦停車しようとブレーキを踏みかけました。 ところが、前の車は減速することもなく踏切を走る抜けていくではありませんか。 わが輩通り踏切を通過する車の様子 走り抜けていく前方の車を目の当たりして驚き、戸惑いました。 かなり混乱したように記憶しています。 停止すべきではないかと思う気持ちと、しかし停止すると後続車に追突される危険を想像し、頭が混乱しつつも追突回避を即座に選択し、周囲に合わせ(多少減速して)一旦停止することなくそのまま踏切を通過しました。 踏切で一旦停止しないのは初体験。心臓バクバクでした。通過後は不安感、罪悪感などを覚えました。 しかし、それも何度か経験してしまうと慣れるもの。 慣れると不思議なもので、いつしか平然と踏切を走り抜けるようになっていました。 他者の模倣を通して学習し、しばらくすると、この踏切では走り抜けることが私の新しい常識となりました。 ただその常識は、どうしてそれが可能なのか何も理解していないままに出来上がったものです。 私たちは、その意味は理解しないままに模倣を通して作られたこうした常識によって、日々の行動しているところ...