ネモフィラが見頃との情報を聞き、5月12日にくじゅう花公園に出かけました。
公園内はたくさんの種類の花々が咲いていました。広い園内のあちこちでたくさんの種類の花々が咲き乱れていたという表現の方がより適切かもしれません。
ネモフィラを目的に出かけたのですが、一番感動したのは一面に咲くリビングストンデージーの花畑でした。
実は1か月前、桜の季節の4月11日にこの公園に来ていました。写真の構図は異なっていますが、1か月前はまだ青々とした苗畑でした(下の写真の左下に並んでいる緑の苗がリビングストンデージー)。
目的だったネモフィラ。
満開の少し手前ぐらいでしたが、一面に広がるネモフィラの花が風に揺れている光景は見事なものでした。白いネモフィラがあることもこの時に初めて知りました。
ネモフィラの丘。ガイド付きシニアカートが停車するところです。
ここでネモフィラを鑑賞しているとベンチで若いカップルが記念撮影をしていました。
熊本市内から2時間半ほどかけてやってきたので、せっかくの機会です。熟年の厚かましさを発揮し、若いカップルに負けじと、5月でちょうど結婚40年となった私たちもここで記念撮影をしてきました。
私たちが出かけたのは平日。それでも非常に多くの人で賑わっていました。
出かけてみて多くの人が訪れる理由がわかりました。
どこもきれいな花々ばかりで、広い園内を飽きることなく散策できました(6000歩ほど歩きました)。
スタッフの苦労は並大抵ではなかろうと思います。
だって広大な花畑に雑草が一切生えていないのですから。
それだからこそ、見ている私たちは感動するのでしょう。確かに花自体もきれいなのですが、私たちはそうした状態を作り出した、スタッフの直接には見えない努力を無意識に想像し、そうした膨大な努に感動しているように思います。
人が感動するのは、そこに他者の膨大な努力があることが必要条件のような気がしています。
そうした人の努力をまだ十分には理解できない幼い子どもたちだと、リビングストンデージーやネモフィラ畑をみても大人が感動するほどの感動には至らないかもしれません。
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くじゅう花公園を後にして、ぐるっとくじゅう周回道路沿いにある久住高原展望台で車を降り、遠くに阿蘇の山々、そして手前には産山村のヒゴタイ公園を眺めた写真です。一面に広がる草原は何とも言えないほど見事です。
1か月前に同じ場所で、同様な方向の写真を撮りました。
その時はまだ野焼きの後が残る、若草が芽吹いていない状態でした。
1カ月で見事な草原が再生していました。
草原の維持には野焼きが不可欠です。この野焼き作業のことを少し学んだことがあります。阿蘇全体の草原を維持するには、総延長500kmもの輪地切りを行って防火帯を毎年作る作業が必要だそうです。草原は気の遠くなるほどの人々の作業があって維持されているわけです。
上でも述べましたが、人が感動するのはその背後にある他人の努力に対してではないでしょうか。そうした背後にある努力を(無意識に)感じるとき、一面の草原を前に私たちは感動するのではないかと思います。
久住高原展望台からの眺め(ショートムービー)
熊本市内に帰る際、道路脇で草を食む牛たちにみかけました。どこまでも続く草原の中を車を走らせるのは実に気持ちがいいものです。
阿蘇、九重にある観光スポットは、そのスポットが魅力的であることは当然ですが、そこに行くまでに途中でこの見事な草原の中を走れるということが、魅力を倍化させているのではないかといつも感じます。
阿蘇くじゅうは、ゴールにたどり着くまでの途中、その過程自体が魅力的です。