2024年8月5日月曜日

一旦停止不要のわが輩通り踏切

熊本電鉄上熊本駅に停車中のくまモン電車

上熊本駅を出発して2番目の踏切でくまモン電車は県道31号線(通称「わが輩通り」)を横切ります。

わが輩通りを横切るくまモン電車。
交通渋滞の激しい熊本市において地域の足として期待の大きい熊本電鉄の電車です。

踏切を通過すると電車は次の韓々坂駅(かんかんざかえき)へと向かいます。

韓々坂駅を過ぎ次の池田駅に到着する直前の踏切を通過するくまモン電車。

車が踏切の手前で停車しております。
電車が通過しているので停車は当然ですが、踏切では電車が来なくても一旦停車するものです。何十年もの間、それが当たり前だと思っていました

ところが、その常識は破壊されました。例外があったのです。壊したのは先に紹介したわが輩通りと交わる踏切でした。
 
初めてわが輩通りの踏切を通った時のことです。
踏切が近づくと、常識に従い、一旦停車しようとブレーキを踏みかけました。
ところが、前の車は減速することもなく踏切を走る抜けていくではありませんか。

わが輩通り踏切を通過する車の様子

走り抜けていく前方の車を目の当たりして驚き、戸惑いました。
かなり混乱したように記憶しています。
停止すべきではないかと思う気持ちと、しかし停止すると後続車に追突される危険を想像し、頭が混乱しつつも追突回避を即座に選択し、周囲に合わせ(多少減速して)一旦停止することなくそのまま踏切を通過しました。
踏切で一旦停止しないのは初体験。心臓バクバクでした。通過後は不安感、罪悪感などを覚えました。

しかし、それも何度か経験してしまうと慣れるもの。
慣れると不思議なもので、いつしか平然と踏切を走り抜けるようになっていました。
他者の模倣を通して学習し、しばらくすると、この踏切では走り抜けることが私の新しい常識となりました。
ただその常識は、どうしてそれが可能なのか何も理解していないままに出来上がったものです。
私たちは、その意味は理解しないままに模倣を通して作られたこうした常識によって、日々の行動しているところがあるのかもしれません。


散策するようになり、わが輩通りの踏切を歩いて渡ることが増えました。
歩いていると考える時間(余裕)があります。
だからでしょうが、ガタンゴトンと線路を渡る自動車の大きなタイヤ音を聞いていると、一旦停止しない常識が気になりました。
感性でもって学習した常識がどうしそうなのか、妥当性を理性でもって理解したくなりました。
少し調べてみました。
その結果、一旦停止しなくてよい踏切が道路交通法で規定されていることを知りました。

道路交通法第三十三条
車両等は、踏切を通過しようとするときは、踏切の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止し、かつ、安全であることを確認した後でなければ進行してはならない。ただし、信号機の表示する信号に従うときは、踏切の直前で停止しないで進行することができる。

踏切用の信号が設置されているところでは一旦停止は不要だと法律で規定されていて、この法律がこの踏切を通過している人たちの常識の前提になっていることを知りました。
電車は遮断機と連動しているだけでなく、踏切信号とも連動しているようです。

上で紹介した動画でも踏切信号が入るように撮影していますが、それを拡大したものが次の写真です。文字が消えかけていますが信号灯の下に「踏切信号」と書いてあるのがわかるかと思います。

踏切信号が設置されているところでは、信号が青の時は一旦停止せずに通過してよいというルールが作られていました。
踏切信号が設置された当時の人たちは、当然ながら、その意味を理解して踏切を通過していたのだと思います。
しかしそれに続く人たちは先人の模倣を通して行動することで、どうして一旦停止しなくてよいのか考えることもなく通過しています。
正しい行動なので周囲に迷惑を与えることはありません。そのため、こうした行動は改めてその理由を考えることもなく、私たちの中に常識として定着していくようです。

今回は私は、前提となっている理由を知ったことで、踏切信号機の役割を理解し、まるで幽霊の正体を見破ったように感じました。おかげで、わが輩通りの踏切を停止せずに通過したときの最初の後ろめたさから解放されました。
道路交通法33条を頭に入れてからわが輩通りの踏切を走り抜けると、その時それまでの単なる通過ではなくなるのかもしれません。 

こうした信号機のある踏切に出合うことはなかなかありません。現在は、交通量の多い踏切は高架化されているので、こうした踏切は不要になったでしょうから。
熊本市内では私が知る限り、この場所だけです。