2025年6月6日金曜日

鶴屋百貨店にて

先日、熊本を代表する百貨店である「鶴屋」に出かけました。
散策ではなく、8階で開催されている展示会が目的。家内の知り合いの先生が作品を展示されており、どれも見事なものばかり。乾き気味の心に潤いを与えてもらいました。
会場には商談席もありました。鑑賞していると、自宅に飾っておきたいと思う作品がありましたが、最低でも数万円の作品ばかりで・・・。私たちにはちょっと手が出せない値段ばかりでした。ただ、そうした作品を、ご高齢の和服姿の女性のお客さんたちは躊躇なく購入されており、驚かされました。

中心市街地はお客さんが減っているものと思っていました。しかし、少なくとも昨日の鶴屋は違いました。
平日だったのに関わらず鶴屋はお客さんでごった返しており、特に、6階で開催されていた北海道展はものすごかった。北海道展に「寄っていく?」と家内が話しかけてきましたが、あまりの混雑に寄らずに帰宅しました。
混雑ぶりをみて、熊本市民にとって鶴屋百貨店は特別なシンボル的存在なんだと2016年に感じたことを思いだしました。

本日の朝刊によれば、鶴屋の開店は昭和27年のことだそうで、それから70年以上。戦後からほどなくして開店し、それから熊本市民と共に高度成長期を歩んできたわけで、特別な存在になるのはわかる気がします。
もっとも、ネイティブな熊本県民ではない私は、熊本市民ほどにはきちんとそれを理解できているとは思いませんが、鶴屋の包装紙にくるまれたお土産、鶴屋の紙バッグを持ち歩いているネイティブな方々はそのことを意識的/無意識に特別な思いをもっておられるのではないかと想像しています。

鶴屋の存在の意味を熊本地震が私に教えてくれました。
2016年4月に起きた熊本地震。大きな被害が生じ、あちこちで復旧に向けた作業が必要でした。
鶴屋もそのひとつで、地震被害により休業を余儀なくされました。
復旧活動の末、5月14日に本館の一部で営業が再開されたのですが、地元内外でそのことがニュースとして大きく取り上げられたのです。当時の報道写真をみると再開と同時に多くの買い物客が訪れている様子が紹介されていて、その中の買い物客にメディアがインタビューしていました。
例えば次のような買い物客の声が残されています(参照):

「うれしいですね。(鶴屋が)閉まっていると寂しいですものね。ますます頑張ってもらいたい。鶴屋さんにも」

当時のニュースの取り上げ方や上のようなお客さんの反応に接し、鶴屋は、熊本に住む人たちにとって地域を象徴するシンボルとして特別な意味を持つ存在なのだろうと、ノンネイティブな私でも感じた記憶があります。

また、熊本地域の皆さんが無意識に感じている熊本のシンボルに関する出来事は他にもありました。
2012年のことです。この年、済々黌高校が夏の高校野球全国大会(甲子園)に出場したのです。現在、阪神タイガースに所属し活躍している大竹選手がエースとして在籍していたときのことです。毎年、どの高校かは甲子園に行っているわけですが、この年の熊本の盛り上がりは異常でした。甲子園では、済々黌高校は大阪桐蔭高校に破れます。6千人の大応援団が駆け付けていました。試合後、大阪桐蔭の監督さんのインタビューが印象的でした。甲子園は自分たちの地元のはずなのに済々黌高校の応援が凄すぎて「アウェーで戦っているようでした」と語られていて、その場にいなくても済々黌高校の応援の熱量のすごさが伝わってきました。
済々黌高校という存在の熊本県民にとっての意味を甲子園出場という出来事が顕在化させ、ノンネイティブな私でも熊本という地域における済々黌高校の存在の意味を理解しました。

鶴屋と言う存在の意味は休業を余儀なくされた熊本地震という出来事が顕在化させたように思いました。

昔、こうしたシンボルの認識に関して組織認識論という分野を通して学んだことがあります。その内容に感動したことを覚えています。それを応用すれば、地域ごとに、その地域とってのアイデンティ的な意味を持つ重要なシンボルは、通常は日常の中に埋没していているようです。
人や物など観察しながらそうしたことも考えつつ散策していると、散策は飽きることのない面白いものです。