2026年1月11日日曜日

二の丸広場の2本松の片方逝く

今年の加藤神社への初詣の後(2026/1/3のこと)、二の丸広場を歩いて帰っていると、県立美術館前の二の丸広場の樹木周辺に規制テープが張ってありました。
「朽ちた枝が落ちてくるのかなぁ・・・」と思いながら通り過ぎました。

それから約1週間後(2026/1/9)、また二の丸広場を散歩していました。
広場では消防出初め式の準備が始まっており、その様子を見ていると何やら風景がいつもと異なることに気づきました。家内から「あっ」と小さな声が聞こえました。変化に気づいたようです。

次の写真は2024/8/16に撮ったものです。葉が生い茂っているのでわかりにくいですが、これまでの風景になかにあったはずの松の木が「ない!」と家内に言われ驚きました。
2024/8/16撮影
上の写真の中央付近に、寄り添う2本の松の木が見えます。この2本の松についてはこの「まちの風景」ブログで以前紹介したことがあります。
なぜ2本の松が寄り添ように生えているのか、その理由はよくわかっていないようです。(別日に撮った写真ですが)ほんと仲良く寄り添うように立っていました。
2024/5/15撮影

それが・・・、片方の松の木が伐採されていました。
2026/1/9撮影

初詣した後、2026/1/3にここを通った時は2本ともにあったので、この1週間の間に伐採されたようです。あの規制テープは、枝が落ちてくるとかではなく、伐採のためだったことをこの時知りました。

2本の松の木は、いったい何年ほど一緒にいたのでしょう? 一説によれば松の木の寿命は人間の寿命程度のオーダーのようです。
仲良く寄り添ってきた2本の片方が先に逝った姿を前にして、長年連れ添った相方が旅だったように感じてしまいました。私たちも今は2人で生活しているため、私たちに重ね合わせてしまいました。家内も同じようなことを思ったようです。

倒木の危険があったからでしょうが、寄り添うように立っていた2本の松が独りになってしまい、大変残念に思いました。

2026年1月4日日曜日

6年前の熊本城総合事務所取材

昨年、加藤神社に初詣にでかけたのは1月2日の早朝でした。昨年の人混みは比較的少なかった。
初詣で賑わう加藤神社(2025/1/3)
今年は1月3日午後にでかけました。年が明けてもう3日も経つので、人出は随分と減っているはずだと想像していたのですが、考えが大変甘かった。
拝殿まで随分と長い行列ができていました。

初詣の済ませ、二の丸広場に出ると、ほぼ誰もいません。ただ、ここも元旦には色々なイベントがあったようです。
実は、大晦日にも二の丸広場を夫婦で散歩しました。中央にテントがおいてあるので、何だろうと思って近寄ってみました。

かわらけ」の配布場所とのこと。はて? 無知な私は、「かわらけ」とは何?、「ここで何が行われるのか?」など、頭の中は疑問符だらけの状態で帰宅。

帰宅後にネットで調べ、「かわらけ」の正体がわかりました。「かわらけ」は素焼きの杯のことで、縁起物として毎年無料配布されているようです。
令和8年は、「熊本地震十年」の文字が刻印された杯で、それが熊本城おもてなし武将隊の手で2025個配布されたと地元新聞で報じてありました。

今年で、熊本地震から10年が経過します。
10年前、私は深夜の自宅で震度6強を経験しました。1日前の前震の片付けで疲労困憊して帰宅した直後の本震でした。それから、職場で怒涛の日々が続きました。
職場が落ち着いて以降、熊本地震に関する取材を行う機会をいくつか持ちました。
そのひとつとして学生たちと熊本城周辺文化施設の取材する機会をいただき、その一環で熊本城総合事務所を取材させてもらいました。
その様子を学生が動画でまとめています⇒熊本城総合事務所副所長インタビュー2019/12/3

この時、熊本城の復旧には20年を要すると聞きました。
取材後、そして熊本城近辺に住み始めてからはさらに熊本城を眺め度に復旧状況が気になっていました。
地震から今年で10年。今年は熊本城復旧の向けた折り返しの年ということなります。これからの10年で熊本城の創造的復興が無事に完了することを祈りたいと思います。