2024年9月15日日曜日

再建された熊本洋学校教師ジェーンズ邸


まことに小さな国が開花期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。

このナレーションで始まるNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の再放送がNHK総合TVで始まりました。初回放送は2009年11月。それから2011年まで3年をかけて全13回が放送されました。それぞれの回が映画1回分以上に感じるもので、超大作ドラマでした。
10月4日からはBSP4Kでも放送されるので、2009年からの初回放送と比べはるかに鮮明な映像で視聴できるため非常に楽しみです。

冒頭のナレーションはこう続きます:

産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

これらのナレーションは、司馬遼太郎さんの原作から引用されているものです。
こうした高揚感はここ熊本にも当然あったのだろうと思います。
それが熊本洋学校設立を促すことになったかもしれません。

熊本では明治4年(1871年)に藩立で熊本洋学校を開学させ、500人の入学希望者が殺到し、入学できたのは46名だったそうです。
(熊本洋学校はこちらのサイトに詳しく紹介されています)
この学校の教師として米国人ジェーンズ(1838-1909)が招聘され、今の高校普通科の授業科目に類似した内容が英語で授業されたようです。
明治7年になると男女共学化もしているようで、この時代にしてはかなり先進的です。

前置きが長くなりましたが、冒頭の写真は熊本洋学校の教師だったジェーンズの邸宅を復元したものです。
ジェーンズ邸は熊本県内の最古の洋館だったようですが、熊本地震にて2016年に全壊しました。写真のジェーンズ邸は2023年に復元されたものです。

身近なところはいつでも行けるという感覚があるからでしょう、30年ほぼ熊本市に住んでいるのに、この場所に出かけるのは初めてでした。
ジェーンズ邸位置:32.789286, 130.734725

散策していると、2階部分が夕陽に照らされ、オレンジ色に染まり大変きれいでした。
きれいなのは傍を流れている川。湧水だと思いますが、透明度が高くて、ここから江津湖に流れていくはずです。ライトアップもされていて暗くなると幻想的な通りになりそうです。

立ち去る頃、オレンジ色に染めていた夕陽が見えなくなり、夜のとばりがジェーンズ邸に下り始めていました。


 

ジェーンズ邸は熊本市電の「市立体育館前」電停の目の前になります。

若い世代はなぜこの電停を「市立体育館前」と呼ぶのか分からないでしょう。
実はジェーンズ邸前の空き地は元々は市立体育館(水前寺体育館とも呼んでいたそうです)だったのです。1999年の台風で損壊し、その後に解体され、今は公園として整備されており、市立体育館はどこにも見ありません。近くに熊本市総合体育館があるので、市立体育館前はそこの前だと思っている人もいるかもしれません。
昔、ちゃんと電停前に体育館があったのです。その市立体育館はなくなりましたが、電停名として名は残りました。
名は、歴史を語り部としての役割を担っているわけですが、このまま変更する予定はないのでしょうか?

2024年9月11日水曜日

藤崎台球場のメンテナンス

何に見えますでしょうか?
遠くから眺めた時、巨大なモヤイ像が並んでいるように私には見えました。

モヤイ像に見えたのは照明塔です。
場所は藤崎台球場。
熊本県の高校球児であった方々にとってはここは随分と思い入れのある球場かと思います。
その球場の照明塔のメンテナンス作業が現在行われております。

照明塔に足場を組み、その頂上に作業員の方がいて、巨大なクレーンで機材を運び上げておられました。近くでみるとかなりの高さです。作業員のすごさにただただ感服しながら見上げていました。

機材を運び終わったら、全体にシートが張られ、モヤイ像に変身していました。

掲示板に工事の工期が書いてありました。来年の3月まで続くようです。

こんなに大掛かりな照明工事が行われてるということは、藤崎台球場は移転せずに使い続けるということなんでしょうね。
駐車場はあまりないし、バスや市電で来るのもちょっと不便なので、おおがりなイベントを行うのはちょっと難しい球場です。
利用価値という意味では他の場所に移転した方がよいのでしょうが、財源、移転先確保など途方もなく難しい問題があるからということなのでしょう。
ただ、もしも移転することなればなったで、今度は高校球児にとっては強い思いれのある熊本市のシンボルでもあるので、色々な意見が飛び交うことにもなりそうです。

2024年9月6日金曜日

木陰での前撮り風景@二の丸広場

昨日、所用で「下通り」にでかけた帰り、NHK熊本放送局前のプロムナードでしばし休憩。
熊本地方は酷暑がまだ続いています。

城彩苑を通り二の丸広場までは徒歩5分程度でしょうか。猛暑は続いていますが、この時期だからでしょうか、もう入道雲は見当たりません。きれいな青空が広がっていました。

たまたま樹木の剪定作業が行われており、クレーンを使った作業をしばし眺めてました。
熊本地震で壊れた奉行丸長塀の前が現場ですが、この辺りはまだ修復は手つかず状態。クレーンでの作業は、通路の寸断されているため、切った枝を運び出すのが難しいんだろうと考えながら眺めていました。
作業を見て、熊本城全体の見事な景観はこうした膨大な労力があってのことだと改めて思わされました。

美しい景観の広がる熊本城内。大きなクスノキの木陰に人影があります。

結婚式の前撮りをされているようです。
熊本城の景観をバックに前撮りをされているカップルを見かけることがあります。
未来しかない幸せそうな若いカップルに遭遇すると、元気をもらえたようで嬉しくなります。
二の丸広場は景観地としてほんと良いところです。誰もが記念の写真を撮りたくなるでしょう。
ただ、こうした景観も上でみた剪定のような維持活動があってのこと。ぼんやり過ごしていると、ついそのことを忘れてしまいそうです。

木陰での撮影を終え、一行は熊本城の方向へと移動していかれました。
猛暑のため私などは半そでポロシャツでした。
一方、カップルは分厚い和服姿。
若さのパワー、あるいは幸せのパワーでしょうか。いずれにしても、猛暑を吹き飛ばすほどのかなりの熱量を持っているカップルだと思いました。
記念写真も生半可な気持ちではとても撮れないですね。


2024年9月3日火曜日

人吉市~青井阿蘇神社

迷走台風10号は突風被害も出ていました。それ以上に動きが遅く、雨による影響も大きかったようです。私の住む近くの川も氾濫危険水位を超える瞬間があり心配しました。ただ結果的に熊本県では台風被害はほぼなかったようです。それぞれ事前の備えもなされていたからに違いありません。襲来する台風は、心配ですが、同時に防災・減災に向けた備えが大事だと定期的に私たちに教えてくれているにように思います。

台風10号が過ぎ、青空が広がった日、熊本市を出て高速道路で約1時間。
人吉市に出かけました。
人吉を散策する中で外せないのはやはり国宝の青井阿蘇神社かと思います。
直近で出かけたのは2017年で、もう7年前になります。
鳥居越しにみた楼門(ろうもん)。かやぶき屋根は見事なものです。近づき見上げてみると、家内共々、思わず声をあげてしまいました。


楼門の前で180度回転すると、禊橋(みそぎばし)が真正面に見えます。
ご存じのように令和2年(2020年)7月豪雨で人吉市は未曽有の被害を受け、この禊橋も欄干が破壊されたました。令和4年(2022年)10月に復旧したそうです。


楼門を抜けると拝殿。浸水被害は拝殿にまで及んだそうですが、被災から4年が経ち、この日概観する限りは被災の痕跡を目にすることはありませんでした。
 

被災時の様子などを熊本のローカル局が取材しYoutubeで紹介していました。


現在は被災の痕跡を確認することが難しくなっていますが、大きな被害だったことがわかります。
KABのレポートの中で建設中ということだった国宝記念館はすでに出来上がっていました。
拝殿の横に立派な屋根の建物が並んでおります。
かなり目を引くデザインです。

境内は広々としています。
7年前の記憶ではこんなに広くなかったように思うのですが・・・
写真を撮っておらず、記憶を確かめようがありません。
やはり、記録として写真は撮っておいた方が良さそうです。


神社が建てられたのは今から1,200年前。古い神社の境内を散策しながら、何か足りないと感じながらしばらくして気づいたのは巨大な樹木が見当たらないことでした。
神社といえば巨大なクスノキが目に見えるところに鎮座していそうに思うのですが、そんな巨大な樹木がないため、うっそうとした感じがなく、境内から見る空は随分と広く感じました。
(※)後でネットで調べたら、社殿の奥の方にご神木の巨木クスノキはあるとのこと。夫婦共々、雑な散策をしていたようです。