2025年6月23日月曜日

夏至:田植えと夏への準備

6月21日、夏至。
日が長くなり、夕方、ゆうかファミリーロード沿いをゆったりと散歩していると、山法師(ヤマボウシ)を見つけました。

さらに進むと、井芹川がダム湖のようになっていました(中央に小さく、山頂だけ見える遠くの山は金峰山)。
同じ場所で昨年撮った写真と比べると違いがよくわかります。
こちら→まちの風景「小さな鉄橋を渡る電車と傍らに広がる穭田」2024/11/10

このダム湖は、特殊なシート状のものがダムとなってせき止められ出来上がった湖でした。かなりの水圧になるはずですが、これでよく持ち堪えられるものです。

井芹川のダム湖は、ちょうどこの時期、田植えが行われていたからでしょう。田んぼに水を回すための「ため池」として利用されているのではないかと思います。
川を臨時的にダム湖して利用する方法は初めて見ました。
 
阿蘇方面の田植えについては、新聞等でよく紹介されますし、また私たちも昨年には田植え時期の阿蘇に出かけたことがあります。阿蘇の田植えは5月です。
田植え時期の阿蘇の様子→まちの風景「5月、田植え時期の南阿蘇と草原」2024/5/30

熊本市内はちょうど今、この夏至の時期が田植えの真っ盛り。
現在、熊本市内の水田には植えたばかりの苗がきれいに並び、日本の伝統的な田園風景が広がっています。
次の2枚は、昨年の9月に散歩中に偶然見つけた水田の田植え直後の写真です。
この場所を初めて見つけたのは昨年の9月のこと。
その時の写真はこちら→まちの風景「まるで実りの秋を見守る隠れ家」2024/9/22


私は宮崎の出身です。宮崎在住の頃は実家の田んぼ仕事によくでていました。宮崎では3月下旬には田植えが終わります。7月下旬になるともう稲刈り。機械化が進んでいない頃の真夏の稲刈りは子どもだった私や私の弟にはそれはそれは重労働でした。
田んぼを見るとその頃の大変だった記憶が蘇ります。田んぼをよい意味での田園風景として見れるようになったのは、故郷を離れ、大変だった記憶が薄れてきてからのことです。 

さて、今年は、6月後半、日本各地で猛暑日を記録しています。
まだ梅雨は終わっておらず、田んぼでは田植えをやっている最中に、梅雨の合間に顔を出す太陽の日差しは非常に強烈です。もう完全に真夏です。
あまりに暑くて、日よけのため窓にすだれを取り付けました。
夏至のこの時期、夏への準備もあちこちで目にするようになりました。

2025年6月19日木曜日

芝生の手入れ@熊本城二の丸広場

蓮がおかれた加藤神社から見た熊本城

梅雨シーズンのはずですが、太陽は強烈で、この日は午前中ですでに30℃を超えています。
二の丸広場では芝生のメンテナンス作業が行われていました。
雨は降るし、また天気もよいので芝生もぐんぐんと成長し、油断していると大変なことになってしまうのに違いありません。
まだ全部は刈り取られておらず、まだメンテナンスは続きそうです。

木陰に目をやると小学生が休憩していました。
少し休憩すると歩き出しました。どこに行くのでしょう?
方向からすると、木々の隙間に見える県立美術館のように思えますが・・・。

気になりしばし眺めていると、県立美術館を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいきます。
目標は美術館ではなく、熊本博物館のようです。
博物館は、目立たない場所にあります。しかし、子どもたちにはなかなか人気のあるところのようです。

帰り、私たちも博物館そばを通ってみたところ、駐車場に幼稚園バスや貸し切りバスで満車状態でした。
たくさんの子どもたちがやってきているようです。
常設展示にて熊本地域の自然を学ぶことができますし、またプラネタリウムも人気があります。
プログラムを見ると、今週の土曜日だとプラネタリウムではドラえもんを放映しているみたいです。他に「七夕限定ファミリーアワー」なる企画もあり、子どもたちに人気があるのは当然かもしれません。
  

2025年6月14日土曜日

(鹿児島市)与次郎ヶ浜のガジュマル

鹿児島市の与次郎ヶ浜。年に数度ここを訪れます。前回、記録として残していたのは昨年9月のことだったようです(こちら)。
与次郎にある川商ホール(鹿児島市民文化ホール)には小さな公園が隣接していて、ここにはこれまで何度も来ていましたが、ガジュマルの木が植えてあることに初めて気づきました。

実がたくさん生っていました。実の付き方が独特です。
ネットで調べると、熟すと食べることも可能だそうですが、特に美味しいわけでもないようで、食用にすることはほぼないみたいです。人よりどちらかと言えば、野鳥に好まれる実のようです。

錦江湾に目を向けると桜島が見えます。雨上がりだったはずですが、モヤがかかっていて桜島はぼんやりとした姿でした。
ここ最近、桜島は大きな噴火を繰り返していて、その間、随分と酷い降灰だったようです。与次郎付近に止めてあった車が真っ黒になっている様子がニュースで流れていました。心配しましたが、この日は噴煙は上がっておらず運が良かったです。


桜島をぼんやりと眺めていると、錦江湾を高速船がものすごい速さで他の船を追い抜いていく様子を目にしました。その速さについ見とれてしまいました。種子島・屋久島に向かう高速船ではないかと思います。





2025年6月6日金曜日

鶴屋百貨店にて

先日、熊本を代表する百貨店である「鶴屋」に出かけました。
散策ではなく、8階で開催されている展示会が目的。家内の知り合いの先生が作品を展示されており、どれも見事なものばかり。乾き気味の心に潤いを与えてもらいました。
会場には商談席もありました。鑑賞していると、自宅に飾っておきたいと思う作品がありましたが、最低でも数万円の作品ばかりで・・・。私たちにはちょっと手が出せない値段ばかりでした。ただ、そうした作品を、ご高齢の和服姿の女性のお客さんたちは躊躇なく購入されており、驚かされました。

中心市街地はお客さんが減っているものと思っていました。しかし、少なくとも昨日の鶴屋は違いました。
平日だったのに関わらず鶴屋はお客さんでごった返しており、特に、6階で開催されていた北海道展はものすごかった。北海道展に「寄っていく?」と家内が話しかけてきましたが、あまりの混雑に寄らずに帰宅しました。
混雑ぶりをみて、熊本市民にとって鶴屋百貨店は特別なシンボル的存在なんだと2016年に感じたことを思いだしました。

本日の朝刊によれば、鶴屋の開店は昭和27年のことだそうで、それから70年以上。戦後からほどなくして開店し、それから熊本市民と共に高度成長期を歩んできたわけで、特別な存在になるのはわかる気がします。
もっとも、ネイティブな熊本県民ではない私は、熊本市民ほどにはきちんとそれを理解できているとは思いませんが、鶴屋の包装紙にくるまれたお土産、鶴屋の紙バッグを持ち歩いているネイティブな方々はそのことを意識的/無意識に特別な思いをもっておられるのではないかと想像しています。

鶴屋の存在の意味を熊本地震が私に教えてくれました。
2016年4月に起きた熊本地震。大きな被害が生じ、あちこちで復旧に向けた作業が必要でした。
鶴屋もそのひとつで、地震被害により休業を余儀なくされました。
復旧活動の末、5月14日に本館の一部で営業が再開されたのですが、地元内外でそのことがニュースとして大きく取り上げられたのです。当時の報道写真をみると再開と同時に多くの買い物客が訪れている様子が紹介されていて、その中の買い物客にメディアがインタビューしていました。
例えば次のような買い物客の声が残されています(参照):

「うれしいですね。(鶴屋が)閉まっていると寂しいですものね。ますます頑張ってもらいたい。鶴屋さんにも」

当時のニュースの取り上げ方や上のようなお客さんの反応に接し、鶴屋は、熊本に住む人たちにとって地域を象徴するシンボルとして特別な意味を持つ存在なのだろうと、ノンネイティブな私でも感じた記憶があります。

また、熊本地域の皆さんが無意識に感じている熊本のシンボルに関する出来事は他にもありました。
2012年のことです。この年、済々黌高校が夏の高校野球全国大会(甲子園)に出場したのです。現在、阪神タイガースに所属し活躍している大竹選手がエースとして在籍していたときのことです。毎年、どの高校かは甲子園に行っているわけですが、この年の熊本の盛り上がりは異常でした。甲子園では、済々黌高校は大阪桐蔭高校に破れます。6千人の大応援団が駆け付けていました。試合後、大阪桐蔭の監督さんのインタビューが印象的でした。甲子園は自分たちの地元のはずなのに済々黌高校の応援が凄すぎて「アウェーで戦っているようでした」と語られていて、その場にいなくても済々黌高校の応援の熱量のすごさが伝わってきました。
済々黌高校という存在の熊本県民にとっての意味を甲子園出場という出来事が顕在化させ、ノンネイティブな私でも熊本という地域における済々黌高校の存在の意味を理解しました。

鶴屋と言う存在の意味は休業を余儀なくされた熊本地震という出来事が顕在化させたように思いました。

昔、こうしたシンボルの認識に関して組織認識論という分野を通して学んだことがあります。その内容に感動したことを覚えています。それを応用すれば、地域ごとに、その地域とってのアイデンティ的な意味を持つ重要なシンボルは、通常は日常の中に埋没していているようです。
人や物など観察しながらそうしたことも考えつつ散策していると、散策は飽きることのない面白いものです。

2025年6月2日月曜日

和菓子屋さん@熊本市(坪井、魚屋町、上通町、川尻)

中村だんご店
テレビで紹介された熊本市中央区坪井の和菓子屋さんに、5月末の土曜日夕方に散歩がてら出かけてみました。
午前中に売り切れるという話でしたが、その通りのようで、夕方には「本日売切ました なかむら」との案内がショーケースにおいてありました。
だんごの値段が1個90円(税込み)とあります。驚くような値段です。どんなだんごなのだろうかと大変気になります。

お店に行く前に、場所確認のためネットをみると、このお店は熊本県の公式観光サイトで熊本市エリアの観光スポットのひとつとして「甘党の店 中村だんご店」として紹介されていました。
公式観光サイトによれば中村だんご店は創業113年以上だそうです。

ますます団子を買ってみたくなり、翌朝、リベンジ。
開店時間(午前8時半)ぐらいに出かけてみました。出てこられたご主人はそれはそれは人の好さそうな方でした。
だんご、今回は買えました!
見ためは昔ながらのだんごという感じです。これらどれもが1個税込み90円というから驚きます。
食べてみると、あずまだんご、おはぎは、中身がどちらかというおまけのような感じで、あんこたっぷり、あんこそのものを食べている感じでした。しかしそれがまたたいへん美味しかった。

だんごを手に、店を後にしようとすると、向こう側から若いカップルがスマホの地図を見ている感じでこちらに歩てくるのが見えます。
外国の方で、だんごを買いに来られたようでした。観光サイトの情報を見てのことでしょうが、大きな道路から入り込んだ場所にある地域に根差しただんご屋さんにも関わらず観光客にも人気があるようです。


蜂楽饅頭 上通店
中村だんご店が売り切れになっていた日、私たちは上通りまで足を伸ばしました。
熊本市民のソールフードではないかと思える「蜂楽饅頭(ほうらくまんじゅう)」を買うためです。
熊本県公式観光サイトでも紹介されているお店です(サイトの紹介は本店の水俣店)。
このブログを書くために改めてネットで調べたところ、お店は昭和20年代に水俣市で創業したようで、会社名「(有)水俣蜂楽饅頭」とありました。蜂楽饅頭とは、なんと会社の名前でもありました。ちょっとした驚きでした。この事実、知ってる熊本市民は意外に少ないのでは?
熊本市内では鶴屋にもお店があるようですが、多くの市民に馴染みがあるのは上通りにあるお店ではないかと思います。ちなみに上通りのお店は「熊本蜂楽饅頭」というグループ会社という位置づけのようです。
連日、行列ができています。その行列に並び、蜂楽饅頭(現在1個税込み110円)を白あん、黒あんどちらも購入してきました。白・黒どちらも美味しい。


菓舗 松陽軒
和菓子のお店としては「菓舗 松陽軒」も熊本県の公式観光サイトの熊本スイーツのコーナーで紹介されています。
熊本市中央区魚屋町の熊本市電「呉服町電停」前にお店はあります。
こちらの店は明治43年からで、創業115年ほどになるようです。中村だんご店と同じぐらいの時期に創業されたようです。
新しく開発された#ZOKKONスコーンが人気ということで、買ってきました。見た目のインパクトがすごい。私はいちじくとクリームチーズほうじ茶のスコーンが一番でした。家内は抹茶が一番ということで、要するにどれも美味しいスコーンです。


御菓子処 天明堂
このお店は江戸時代からの創業だと公式観光サイトで紹介されています。


お店は熊本市南区川尻地区にあります。この地域は鎌倉時代から港町として栄えたところだそうです。和菓子を買うついでに周囲を少しだけ見渡してみました。惹きつけられました。いつか機会をみつけ徒歩でじっくりとこの地域を散策してみたいと思いました。
お店の雰囲気も良かったですが、それ以上に女性店員さんが気さくで大変感じがよかった。
ついついたくさん買ってしまいそうでしたが、夫婦2人なので、少しにしました。
チーズ饅頭(ちーまん)だけ家内が食べたところですが、家内の食レポによれば「甘くなく、美味しい」とのことです。お菓子については普段あまり誉めない家内なので、すごく美味しいのだろうと思います。
公式観光サイトでも紹介されている有名な「酒かすてら」はこれから食べます。