2024年7月3日水曜日

坂道の風景~砂薬師坂

熊本市電の杉塘(すぎども)電停から5分ほど歩くと、「三の丸広場」と刻まれた石造りの門札があります。
撮影場所:32.80911893738056, 130.6974086298808

門札を通り抜け、ゆるやかな石畳の坂を少し上ると、石段に変わります。
私たち夫婦が熊本市中央区に引っ越してきて、最初に出会った石段の坂道がここ「砂薬師(すなやくし)坂」でした。名の由来は、坂道を上りきったところに薬師堂があったからだそうです。

石段を上りながら数え、そして愛用のApple Watchで測ってみたら、門札から石段を上りきったところまでで
  石段数23段、距離100m、高低差8m
という結果でした。
砂薬師坂は、退職後の私やそこまで体力のない家内でもたやすく上れる坂道です。

この坂を初めて歩いたのは春でした。
新緑に囲まれ、それがとてもきれいで、家内と「こんなところを散歩できるって、なんて贅沢なんだろう」と話したように記憶しています。

左は石垣。右は土手です。土手は全面が苔で覆われています。
老眼のため焦点がぼやけながらも近づいて凝視すると、苔の正体は、気泡を敷き詰めたような幾何学模様に覆われた小さな葉っぱでした。
小さな葉っぱをみて、「これは苔なのか?」と疑問が私には湧きあがり、家内に話すと家内は「ふ~ん」程度でまるで興味は示さず、さっさと歩き始めていました。

朝は、上っていくと目の前に、木立の間から朝日が差してきます。
苔には興味を示さなかった家内は、立ち止まり「きれいね」と小さく声を出していました。
私はミクロな風景に興味を持ったわけですが、家内は、ありのままに目に入ってくる風景が大切なようです。
男女の違いということでないのでしょうが、同じ景色をみていても人によって見方は随分と違うものです。

坂道を上るとき撮った動画です。梅雨明け宣言はまだですが、たぶん明けたような状況になった2024年7月3日に撮ったものです。2,3日前に蝉が鳴いているような気がしました。それが、晴れ間が出たらいっきに蝉の大合唱。夏を迎えました。
砂薬師坂を上る(2024/7/3撮影)

砂薬師坂を上り切ると広い空間に出ます。
右手が三の丸広場、左手はテニスコート。そして、右手前方には熊本市博物館、左手前方は旧細川刑部邸です。

昼の風景
昼間、この空間を利用している多くは年配の方々。
テニスコートを利用されています。
ボールが飛び交っているのは見えますが、あまり声はあまり聞こてきません。

夕方の風景
学校が終わってから、このテニスコートで中学か高校の生徒たちの部活練習が始まります。
大きなかけ声が響き、大変賑やかになります。砂薬師坂の厳かな雰囲気は一変し、躍動感とが重なる非常に不思議な空間へと変化していきます。

朝の風景
三の丸広場と熊本市博物館の間の石畳の通りを急ぎ足で歩く人々によく出会います。この日も、仕事に向かわれているらしき男性をみかけました。
この石畳通りを毎日通勤で使われているのでしょう。
私の場合は、車が多く行き交う通りを騒音を聞きながらの通勤だったでの、樹木に間を石畳を歩きながらの通勤には嫉妬のようなものを感じました。
ただ、出会う通勤の皆さんの多くはスマホを見ながらの急ぎ足です。車がいないからできるわけですが、タイパ優先時代の特徴的な姿だなと感じます。
ミヒャエル・エンデ著の児童書「モモ」に登場する「時間泥棒」に操られているのではないかと想像してしまいそうです。
「ねぇ、みなさん、映画「15才 学校Ⅳ」に登場する青年のような歩き方(まちの風景2024/6/30)もたまには良いのではないですか」と伝えたくなります。


砂薬師坂という名は後で知ったことでした。MicrosoftのCopilotに教えてもらいました。さらに、その由来も尋ねてみると、Copilotからの回答は次のようなものでした。

砂薬師坂(すなやくしざか)の名前の由来については、熊本城の西北側に位置するこの坂が、加藤清正が熊本城を築城する際に、井芹川の引込水路から資材を陸揚げした河岸に続く坂道として使われたことに関連しているとされています。また、この坂は西南戦争の「段山の戦い」の舞台となった場所でもあり、歴史的な背景を持っています。さらに詳細な情報が必要な場合は、『平成肥後国誌』や『熊本城下の坂』などの文献に記載されている内容を参照すると良いでしょう。

なるほど砂薬師坂とは、近くを流れる井芹川(いせりがわ)と熊本城とをつなぐ重要な役割を担った坂だったわけですね。
築城の時には、多くの人々がこの坂を通って資材を運搬したわけで、のんきに散歩している私たちとは違って、景色がきれいだとか、そんなことを感じる余裕などなかったのに違いありません。
先人に思いを巡らしつつ、一方で、Copilotの回答にある「段山(だにやま)の戦い」というのが気になりました。
砂薬師坂から段山、そして井芹川までは歩いて10分ぐらいものです。
先人のことはさておき、すぐに井芹川にかかる段山橋まで行ってみました。
(※)ここ段山橋は熊本市と山鹿市とをむすぶ全長34kmの自転車道(ゆうかサファミリーロード)のスタート地点となります。

段山橋の向こうには花岡山が見えます。西南戦争では、薩摩軍は花岡山から砲撃をしていたそうです(熊本日日新聞「古地図で歩く 城下町くまもと」より)。

段山橋のたもとに、段山での西南戦争について記された石碑がおかれていました。
砂薬師坂にて、両軍が対峙し、この段山での激戦で多くの命が散ったようです。
合唱。
熊本市中央区は、熊本城下町だったので過去にあった色々な出来事が記録として色々と残っているものです。
どの土地も過去はあり、そこではその土地固有の出来事があったはずです。しかし、歴史として残っていくにはそのことを記録する人たちがいないといけないわけで、石碑を眺めながら記録の大切さを改めて感じました。




二人でしばらく、散歩がてら、熊本城下の坂巡りを続けてみようかと思います。