2024年7月8日月曜日

味噌天神という神社はやっぱりあった

熊本市の通称「電車通り」を走るバスに乗っている方であれば「味噌天神」という言葉は耳慣れたものになっているかと思います。私もこれまで30年間、熊本市内に住み、電車通りをバスで街にでかけていたので車内アナウンスのおかげでバス停「味噌天神」には随分と馴染まされました。
バス停「味噌天神」は高速バスの停留所にもなっているので、熊本県外の方でも聞かれているかもしれません。

バス停としての「味噌天神」はよく知っていました。ただ、通過するだけでここで乗り降りしたことはありません。
たまたまですが、最近、この辺りを歩く機会があり、交番の横に神社があることに気づきました。
特に目立つ雰囲気でもないので、何もなければ通り過ぎたと思いますが、バス停としての「味噌天神」が頭に刻まれていましたので、ひょっとしてと閃き、鳥居の前で立ち止まりました。
撮影場所:32.79546366557079, 130.72393726343367

鳥居をみて、そこにある神社の名前をみて、「あーやっぱり、味噌天神という神社はあるんだ」というのがその時の素直な感想です。


味噌天神があるからバス停にその名前が付けられたはずです。ただ、多くのバス利用者にとっては、バス停としての「味噌天神」が先にあり、そうしたバス停があるんだから、それらしき神社があるんだろうぐらいのもので、実際の神社としての存在は意識することはなく、幻のなようものでした。
実際、「味噌天神」というバス停の名前がなかったら、通りを歩いていてもこの神社はおそらく素通りしたのではないかと思います。
鳥居を見つけた瞬間は、幻が現実の存在へと変わった瞬間でした。
始めに言葉ありき。言葉の力は非常に大きい。
バス停として何度も聞いて頭に刻み込まれていた言葉が、現実の神社へと私を誘ってくれたのでした。
 

神社内に入ると味噌天神の由来について詳しい説明が書いてありました。
神社の本来の名称は「味噌」でなく「本村神社」いうことです。
この神社には、疫病を終息を願い、肥後の初代国司のときに、神薬(しんやく)の神として「御祖(みそ)天神」を祭祀されたとあります。
その後、大切な味噌が腐敗するという非常事態を受け、この神様にまつわる新たな伝説がここで生まれ、その後この神宮は「味噌天神」と呼ばれることになったようです。
ところで、神薬という言葉を初めて知りました。神薬とは「不思議な特効のある薬。霊薬。」といった意味のようです。どうもここは「薬」とも関係している地みたいです。

社への入り口

神社の後はすべり台等がおかれた公園になっています。正面から見ていたらわかりませんでしたが、公園までいって横から見ると、社は前後2棟で出来ていることがわかります。

味噌伝説に出てくる笹があるだろうかと周囲を見渡しました。
見つけられません。その代わり、後方の社の傍に、見たことがない植物が生えているのを見つけました。
これは花なのでしょうか?

それに、この植物には奇妙な形の実が生っています。
帰宅後、生成AIにこの写真をみせて尋ねたところ「チョウセンアサガオ」ではないかということでした。
一般の人には有毒植物のようです。ただしこれは麻酔薬の原料になる成分なども含んでいるようです。味噌天神には、もともと、神薬の神としての「御祖(みそ)天神」が祭祀されていたわけです。そういうルーツを持つ神社ですから、それもあってチョウセンアサガオのような種類の植物が自生or栽培されているのかなと想像してしまいました。



味噌天神すぐ奥、歩いてすぐのところに熊本大学薬学部のキャンパスがあります。
そこには「薬草パーク」というのがあり、色々な薬草が植えられていました。

ここ味噌天神は、やはり薬の神様なのだと思いました。熊本市に住みもう30年。熊本大学薬学部が味噌天神の奥にあることを実はこの時初めて知りました。
味噌天神のルーツを考えると、薬学部がこの地にあることはかなり納得できるものでした。


味噌天神をみつけ、周囲をただ風景を眺める散策だけでの感想ですが、思ったことは、この地域は、熊本市内の薬草についての中心地ではなかろうかということでした。ただ今現在は異なる可能性もあるわけですが、少なくともルーツであるように思いました。

毎年10月25日の例大祭は多くの人で賑わうようです。
 

さて、味噌天神という言葉が私の中に刷り込まれていなかったら、このエントリーを書くことはなかったでしょう。神社の前を素通りしていたはずです。そして近くに熊本大学薬学部があり、そこに薬草パークなるものがあることも知ることはなかったでしょう。
言葉とは、私たちの行動に強く影響する、不思議な、神のような力を持つもののようです。